ヴァーチャルナレンアイ

インワールドの恋愛って(はーと)

文字履歴が残るとはいえ、それだけに
チャット自体が誤解へ導く可能性がある。

そして、私たちの目の前にあるモニタ上のブラウザは、
ヴァーチャルな告解場として機能しているのではないかと思うことが度々ある。
チャットには人に重荷を降ろさせる効果があるから。

時に私たちは、
相手を信頼して最も個人的な秘密さえ打ち明けてしまうほど
その相手を理想化してしまいがちだ。
だから、自己欺瞞の可能性はあるけどね・・・。

相手との間に何があったのか。何を話したのか。
でもでも、そこで起こったことは現実。
もちろん、私たちはロマンティックな対象(ww)
が持つ欠点については自ら選択して目をつぶっているけれど。

起こったことはでっちあげられたことではない。
それは、私たちの世界を構成しているさまざまな経験を
自分たちででっちあげたのではないとの同じこと。
自分のことばに対する相手の反応は本物だもの。(その時はね)
私に見せる反応は本物でしょ?w
その反応は、経験した経験への領収書のようなものなのかな。

うん。それに唯我論というのは袋小路だしね。

いくらヘリクツを言ったって、
好きなものは好き。会いたいヒトには会いたい。
そんだけなんだよね。

2 コメント:

子供のときをおもいだしてみよう。

私たちは不器用だった。
私たちは己の欲望に忠実でありつつ、
手探りでそれがどこまで許されるのかを確かめ、学んだ。

この世界では、(今の段階では)誰もが子供。
人類の歩みで言ったら、ほんの砂粒程の出来事。
グーテンベルグが活字で言葉をみんなの為に残したのは1447年、まだ550年くらいしかたってない。コンピュータ・ネットワークなんてまだまだnewbieだよねw

今、ここで誰かと出会えて、信頼しあえて、存在を確認しあう事。凝れだけで、今は上出来だとおもいますよ。

あと。恋愛はリアルでもある種の告解場。懺悔の場でもあり、自己欺瞞、詐称、自己肯定のはびこる場所でもありますw。

「己を愛する様に他者を愛せ」
じぶんだいすきな私は、世界が大好き、なはずです。

うんうん
ぜろちの言うこと、よーーくわかる、気がする。。。

まぁヘリクツだからさw。
そしてもういっこヘリクツを。

現実を想像する絶対的な自由なんてものがある訳じゃない。私たちは現実を発見して、語りかけて、語りかけられているでしょ?でも、その現実は私たちを束縛もする。
だって、どれほど現実を脱構築、解体したって想像したものを動かすことなんてできないもの。

あー。言ってることアベコベだよw。

また、時間のあるとき、愛について語ろうぜ。